読んだ本

2021(遅)

随時追加

 

1.チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(2016)
2.北村紗衣『お砂糖とスパイスと爆発的な何か:不真面目な批評家によるフェミニスト批評入門』(2019)
3.レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』(2014)
4.オルダス・ハクスリーすばらしい新世界』(1932)
5.イ・ミンギョン『わたしたちには言葉が必要だ』(2016)
6.チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ『男も女もみんなフェミニストじゃなきゃ』(2014)
7.ロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』(2014)
8.バリー・ユアグローボッティチェリ 疫病の時代の寓話』(2020)
9.バリー・ユアグロー『一人の男が飛行機から飛び降りる』(1984)【途中】
10.イアン・リード『もう、終わりにしよう。』(2020)
11.岡田温司『西洋美術とレイシズム』(2020)
12.ボリス・ヴィアン『お前らの墓につばを吐いてやる』(1946)
13.岡田温司『天使とは何か』(2016)【途中】

14.ヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(1929)

20200105いまさら読む本

美術手帖 これからの美術がわかるキーワード100(2017年12月号)を読んでいる。

2017年。4年も前だ。当時の「これから」は今では「あのころ」だが、それゆえに、と言えば良いのか、わりと面白く読んでいる。最近、かなり集中力が無いので飛ばし飛ばし読んでいるけれども。

 

以下、面白かったところ

  • Instagram時代の写真表現——当時の全世界ユーザー数は7億人(いまは11億)。米現代美術家リチャード・プリンスが他ユーザーの投稿を無断でスクリーンショットしてプリントした作品が炎上。当時「インスタグラマー」「インスタ映え」「セルフィ」「炎上」と言った用語が定着したころらしい。フォロワーやいいね!の数が写真への関心や評価の指標となることへの警鐘。インパクト、話題性重視の価値判断基準が醸成されつつあるとのこと。2021年もまだ同じこと言ってる。
  • カタストロフィへの反応——ハリケーンカトリーナ(2005)や3.11など未曾有の災害に対しての作品。「多くの人命が一度に失われる破滅的状況にあって、アートに何ができるのか。」まさに今問われている。別頁の論考「再説・2020年からの挑戦」で、大災害が起きた跡地=被災地(ex.3.11なら福島原発)がいわば聖地となったと指摘され、2020年前後には首都直下地震などで「聖地」がさらに生まれる余地が悲しくもある、と書かれている。まさか全世界が聖地になりつつあるとはこの頃は想像できなかった。「最悪の場合、(中略)東京オリンピックが中止になってしまってもおかしくない。」、最悪の場合が起きている。聖地に人々が集まることも許されない状況だが、これからどうなるのだろう。オリンピック・パラリンピックは体育祭としてもそうだが前後の文化芸術の興隆に期待が高まっていたがそれどころではない事態。
  • マイノリティや女性作家の再評価——「近年、同世代の白人男性作家に比べて価格面での評価が遅れていたマイノリティや女性作家の作品が、マーケットで急速に評価を得始めている。」2017年にはサザビーズバスキアの作品がアメリカ人アーティスト最高落札額(日本円で123億)で落札されている(落札したのはZOZOTOWN前澤友作)。
  • アート・ストライキ——2017年といえば1月にトランプ第45代アメリカ合衆国大統領が就任した年。就任式前にはJ20 ART STRIKEが呼びかけられた。https://www.cinra.net/column/201701-artstrike 思えばBLMが全世界に広がるのはまだ未来の話。

 

以上です。さていま2021年ですが、なんとなくタイムスリップした気分になりました。

 

2021/01/05 22:59

20210102日記を始めるのは何度目

 W.Somerset MaughamOf Human Bondage1915)を執筆した理由は「彼の中にあったある種の精神的しこりを解消するために、自己解脱の一つの記念碑として書いた」(中野好夫訳『人間の絆(下)』p.669)だったという。平たく言えば、書かずにいられなかったとか書いてすっきりしたかった、というところか。

 

 文豪と己が比肩すると思ってるような文章を書くなよ、と既に羞恥心がむくむくと膨れ上がってきているが、さておき私がまた文章を書き始めたのもだいたい同じ理由である。ここ数年同じようなことを脳内で回らせているので、これはいっそどこかにアウトプットしたらスッキリするのではないかと。インターネットの大海に流してしまったら良いんじゃないかと思った次第です。

 3年前にも同じようなブログもとい日記を書いていましたが、今読み返せば言いたい放題かつ自分がその分野において特権を得ていることに気が付いていないが故の無意識の差別が表立っていて目が当てられなかったので新しい日記帳を作りました。「無知の知」によって人は成長すると信じたいものです。

 文章を書くのは本当に苦手で、書き始めると5%クソふざけた言い回しをするか、身の丈に合わない堅苦しい文体に陥るかの0100か、白か黒かの極端な2択になります。たくさん書いているうちに、じょうずな文章を書けるようになることを望んでいます。

 

 一発目に何を書くか、まあ私の脳内を占めている大部分はパーソナルなどうしようもないコンプレックスなんですが(一般的に友達に話せば悩みは軽くなるんでしょうが私は友達が少ない上にリアルタイムの自己開示がマジで苦手なので)、それをいきなり書くのは気が引ける。

 

(ここから、個人的な諸々を書いていたんですが結局全部消したので、先日見た夢の夢日記に差し替えておきます。全知全能で知られるインターネットの夢占いによるとマジで最悪の夢なのでご笑納ください。)

 

12/30

暗い雨の中を運転している。大きな信号で右折した時、助手席から「あっ」と声がしたのでそちらを見ると小さな女の子が「私の傘」と窓の外を振り返るので視線を追うと、黄色い傘が開いたままふわりと道路に落ちていくのが見えた。「どこにのせてたの」と尋ねると「荷台」と言う。そんなの運転してる間に飛んでいくに決まってるじゃないかと思いつつ「今は取りに行けないよ、ごめん」と返して運転を続ける。前を見ると制服の誘導員が歩道橋下の信号の手前で赤い誘導棒を振っている。雨の中大変だな。停車しながら「雨の夜だから、取りに戻ったら危ないよ。もう取りに行けないかも。」と話しかける。前を走っていた車が誘導員を無視して走り抜けていった。危ないな。女の子はもう気にしていない様子で、信号待ちをしている小学生の男の子達に手を降っている。知り合いらしい。誘導員は私にお辞儀をして、道の左側の門を開いた。参列客がずらずらと出てくる。雨は止んでいた。お正月だからか。参列客がはけて道路を見ると、目の前にあったはずの信号が無く、神社の階段があった。道間違えた?とバックしようと振り返るも、後ろにも車が通って来るような道はない。仕方なく女の子と車を降りて境内にいた人に話しかける。「進入禁止の立て札、見えなかった?」と嫌そうに言うので正直に「私たち〇〇の交差点にいたはずなんですけど、なぜかここに」と説明すると「ああこの前も新宿に居たはずだっていう車が来てたよ。飛ばされちゃうみたいだね。人間もさ、ソファの後ろとかに入ったらスッと‥‥」とよく分からないことを言われる。一体どうやって元いた場所に戻ればいいのか、というか一緒にいる女の子、誰?

と、いうところで目が覚めた。

 

 

 

20200102 21:43